前年度までに提出されていた遺物報告や考察の原稿を編集し、研究成果報告書として『七観古墳の研究―1947年・1952年出土遺物の再検討―』を刊行した。A4判で本文406頁、図版71頁というボリュームとなった。 これにより、七観古墳から1947(昭和22)年・1952(昭和27)年に出土し、京都大学総合博物館が所蔵している遺物のほぼすべてについて、再報告を完遂するにいたった。したがって、「保存処理が施されておらず、かつ十分な二次資料が整備されていない古墳出土遺物を取り上げ、最新の研究で求められる水準を満たした実測図作成や写真撮影を実施し、古墳時代研究の基礎資料整備に寄与する」との目的を達成することができた。 その過程では、1947年・1952年の調査当時に作成された墳丘測量原図などの調査記録を再検討したほか、文化財科学の研究者と協業して多くの遺物について自然科学的分析を実施するなど、さまざまな角度から遺物のもつ情報の抽出や補完を試み、それぞれ成果を得た。さらに、遺物の再報告を進める過程で明らかとなったさまざまな課題について考察を進め、七観古墳出土遺物をより深く理解し、より適切に位置づけうるよう努めた。その結果、5世紀代の大王の奥津城を含むと目される百舌鳥古墳群にあって、「鋲留技法導入期」の標識古墳であり、武器・武具多量出土古墳であり、上石津ミサンザイ古墳の陪冢でもあるという、七観古墳のもつ諸側面と歴史的意義が明確になった。 また、「同種の遺物が報告される際に規範とされるような、適切な方法による二次資料化・報告の方法を模索・実践する」との目的に沿って、報告書作成過程で実践した「遺物の特性に応じた報告方法」や「原稿のデジタル化」の内容についても、研究成果報告書に一節を設けて報告した。
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