海馬特異的に発現している細胞外セリンプロテアーゼ・ニューロプシンは、その蛋白分解活性が神経活動依存的に大きく増加することから、その基質蛋白質の限定解裂が、記憶形成に重要な役割を果たしていると考えられてきた。昨年度、私は、ニューロプシンが直接切断するターゲット基質として統合失調症脆弱因子Neuregulin-1(NRG-1)を同定した。ニューロプシンの細胞外投与は、NRG-1のリガンド部位(EGFドメイン)の遊離を促すが、遊離したリガンドの標的および生理的作用は不明であった。そこでビオチン標識したNRG-1リガンドペプチドをマウス海馬内に投与し、その局在を免疫組織化学的手法により調べた。その結果、ビオチン陽性反応は、抑制性のパルブアルブミン陽性細胞上に見られるErbB4受容体の陽性反応と共局在した。また興味深いことに、ビオチン陽性を示したパルブアルブミン陽性細胞で、細胞内蛋白質のチロシン残基のリン酸化が確認された。このことは、NRG-1ペプチドは、ErbB4受容体を介して、抑制性細胞の細胞内シグナル伝達の活性化を誘導することを示す。これらのことから、ニューロプシンが抑制性伝達に関与していることが考えられたので、ニューロプシン遺伝子欠損マウスにおいて海馬CA1錐体細胞でpaired pulse inhibitionを記録したところ、これが有意に減弱していることが明らかとなった。さらに、NRG-1ペプチドはこの障害を回復した。また、NRG-1ペプチドは、ニューロプシン遺伝子欠損マウスで見られる海馬初期長期増強の障害も回復させ、このペプチドの回復効果は、抑制性伝達の亢進によるものであった。以上のことから、ニューロプシンによるNRG-1の限定解裂機構は、活動依存的な抑制性活動の制御に極めて重要な役割を果たしていることが明らかとなった。抑制性伝達は、ワーキングメモリーの形成に必須であり、また統合失調症患者では、脱抑制症状が誘導され、その結果として過興奮状態になることから、活動依存的な抑制シグナル伝達機構の解明は、これらの現象の理解に繋がる。
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