研究概要 |
平成23年度は、1930年代に創設されたドイツのトゥルネン・スポーツ諸団体の統合組織が採用した運動種目の統轄方法を,ドイツトゥルネン連盟(DT)と3つのスポーツ連盟(ドイツ陸上競技連盟、ドイツフットボール連盟、ドイツ水泳連盟)が「トゥルネン=スポーツ抗争」(以下「抗争」)の中で主張してきた運動種目の統轄方法と関連付けながら考察し,「抗争」の帰結を解明することを研究課題とした。 DTと3つのスポーツ連盟が和解の最終目標として掲げたトゥルネン・スポーツ諸団体の統合組織結成に向けた動きは1933年のドイツ帝国体育員会(DRA)の解散から始まり,その後,帝国指導者連合が創設され,さらに同連合がドイツ帝国体育連合(DRL)に改組されていった。 DRAに加盟していたDTと3つのスポーツ連盟の間では,1930年に双方が結んだ協定によって,陸上競技,フットボール,水泳が共同で統轄されていた。 しかし,DRAの後継組織として1933年に創設された帝国指導者連合では,傘下の15の専門連盟が割り当てられた運動種目のみを統轄し,それ以外の運動種目の統轄は禁じられた。 そして,帝国指導者連合の後継組織として1934年に発足したDRLでは15の専門連盟が,14の専門部と9つの提携連盟に再編された。各運動種目の統轄権がこれらの専門部と提携連盟に委ねられていくことによって,統轄権はより専門分化し,「抗争」の中で3つのスポーツ連盟が主張してきた統轄方法にほぼ則したものとなったのである。 ナチスが国際的なスポーツ活動を推進していく中でなされたトゥルネン・スポーツ諸団体の統合によって,半世紀にも及んだ「抗争」は統轄権の問題に関する限り,DTが主張してきた運動種目の全面的統轄ではなく,3つのスポーツ連盟が主張してきた専門的統轄方法が統合組織に採用される形で帰結したのである。
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