トゥルネン(ドイツ体操)の信奉者たちがスポーツを外国文化として排撃していた19世紀後半のドイツにおいて,ブラウンシュヴァイクでは,ドイツ土着の遊戯を復興させようとする取り組みのなかで,スポーツの組織的な活動が開始された。 本研究では,一方では,ブラウンシュヴァイクの遊戯運動の展開過程において,はじめて「Fussball(サッカー)」に関するドイツ語の専門用語が発明されるなど,スポーツの定着・普及のための基盤が整備されたこと,しかし他方では,その運動を担っていた教養市民層の政治的・経済的な脆弱性のゆえに,スポーツが第一次大戦前の国家主義に取り込まれていったことを明らかにした。
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