明治期より女性体育教師像は多様な要因から複合的に形成され、その表象は文脈に左右され、社会的な評価も変化した。また、女子体育と婦人問題という問題領域は大正期においてすでに乖離していた。そして戦後、社会的には女性運動の興起がみられた一方で、体育領域における女性たちはキャリア形成という課題に直面しつつも、問題の直接的な改善よりむしろ「体育人」としての実践を追究し続けた。つまりこの時期、体育領域における女性のあり方を問う姿勢と、女性の社会的位置づけをめぐるフェミニズムの問題認識とは視角が共有されることはなかったのだといえる。
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