現在の緑化運動にも結びつく、植民地朝鮮における緑化の技術と思想が本国日本に与えた影響を明らかにすることは、第一に、戦後に断絶され、忘却された戦前・戦中の緑化の実態を把握することになる。第二に、近年、環境史の分野で注目されている、帝国の「環境保護主義」の日本とその植民地における展開が明らかになる。第三に、植民地における経験のフィードバックが国内森林政策史に新たに記述される。第四に、これまで国内森林史研究で欠落していた、近代の技術および思想に関する分野が開拓されることになる。 植民地朝鮮における緑化の技術と思想の発達が本国日本に与えた影響について、22年度は、一貫して継続した国内における文献および先行研究の整理の他には、具体的に以下の方法により明らかにした。 緑化の思想について、朝鮮総督府山林課長の齋藤音作の足跡の追跡を試みた。具体的には出身地の新潟で子孫への聞き取り調査、音作が埋葬されたソウルの共同墓地の調査、音作が所属したソウルの日本基督教会の調査、旧朝鮮総督府林業試験所の調査を実施した。また韓国において韓国人研究者(地籍博物館館長の李鎭昊氏、慶北大学の権五奎氏、音作の墓の発見者の金栄植氏)から資料の提供を受けた。文献についても、韓国国立国会図書館、ソウル大学図書館において収集を行った。 研究を深めるため関連分野の研究者と環境史研究会を立ち上げ、年度内に4回のワークショップを開催し、発表も行った。また研究の結果を踏まえて、22年度末の日本森林学会で研究交流を予定したが、東日本大震災のため学会が中止になり、これにかかる予定だった予算を翌年に繰り越した。
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