現在の緑化運動にも結びつく、植民地朝鮮における緑化の技術と思想が本国日本に与えた影響を明らかにする本研究は、最終年度において、2点について進捗があった。一つは、これまでに、植民地森林官であった齋藤音策の足跡を追うという手法によって、明治から昭和初期にかけての近代林政が植民地を含むさまざまな地域の森林および住民との出会いによって変化したことを実証してきたが、本年度は北海道と朝鮮半島における林政の共通点、相違点が明らかになった。二つ目は、近年、環境史の分野で注目されている、帝国の「環境保護主義」の日本とその植民地における展開を明らかにするため、これまで国内森林史研究で欠落していた、近代の技術および思想に関する把握を試みた。具体的には、2012年3月に開催された林業経済学会シンポジウム「近代林学の歴史と環境保全-森林保続思想の世界史-」を受けて「「近代林学」の概念拡張と世界拡張:環境史分野の動向に応答して」というコメントを述べた。すなわち、これまでの「近代林学(経理や林政)」が「(収穫や経営の)保続」が本質としてきたことに対して、環境史の分野がグーバルなEnvironmentalismの源流を模索していることを指摘し、「近代林学」が「(収穫や経営の)保続」だけでなく、たとえば治山や緑化であり、保安林や国立公園など、経理や林政に限定されずに概念を拡張すべきとした。 また、本研究は東アジアの環境史にかかわるため、2013年10月に台湾で開催されるThe Second Conference of EAEH(East Asia Environmental History)において「Thought and behavior of a colonial forester: Personal history of Otosaku Saito」というタイトルの報告がアクセプトされている。
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