本研究の目的は、地方自治体はどのように水質保全政策を執行してきたのか、その執行を確かなものにするためにどのような工夫を行ってきたのか、といった地方環境ガバナンスの実態を明らかにすることにある。さらに本研究の方法論は、政治学や歴史学のように、地方自治体の行政公文書を活用した環境政策史という新たな方法論に基づいたもので、方法論からみても大きな貢献をなし得ると考えられる。 調査対象地を神奈川県とした。この理由は、(1)早くから県が独自の公害対策を実施してきたこと、(2)京浜工業地帯を抱えていたこと、(3)県条例による管理と法律による管理の二重構造がみられたこと、(4)行政公文書の質と量が非常に高いことによる。 神奈川県の水質保全政策は4段階に大別することができ、前半の(1)神奈川県事業場公害防止条例下(1951年~1963年)と(2)公害の防止に関する条例下(1964年~1971年)に絞って検証している。事業場公害防止条例下では、知事から任命された事業場公害審査委員会が主観的に公害を認定することになっていたので、何をもって公害とするのかがきわめて重要であったが、そもそも科学的な調査能力や体制を十分に整えられていなかった。この状況下で、事務当局や工業試験所などの県専門機関が大きな役割を担うことになり、様々な事例を通して、どのように問題が顕在化し、顕在化した問題はどのように「公害」として認定されたのか、そして認定後実際にどのような処置がとられたのかを明らかにしつつある。さらに県事業場公害防止条例下の後半段階では、条例適用地域と旧水質2法適用地域に分割されることになった。当時、県も独自に大規模な廃水実態調査を行っており、この結果が旧水質2法や、はじめて客観的な公害認定基準が定められた公害の防止に関する条例にどのような影響を与えたのかを明らかにしつつある。
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