本研究の目的は、神奈川県(地方公共団体)はどのように水質保全政策を執行してきたのか、その執行を確かなものにするためにどのような工夫を行ってきたのか、といった地方環境ガバナンスの実態を明らかにすることにある。 神奈川県の環境政策は、1951年から1964年までの第一段階、1964年から1971年までの第二段階、1971年から1996年までの第三段階、そして現在に区別できる。この2年間の研究期間では、主に第一段階と第二段階に焦点をあて研究を行い、多くの資料を収集することができた。 第一段階の特徴は、主観的に公害を認定しその技術的な改善策を県が提示するという方式にあった。この行政指導に基づく公害行政の限界と意味について、当時大きな問題であった二つの事例を取り上げ、そこで県はどのように対処しようとしたのかを公文書から詳細に明らかにしつつ、主観的な公害認定と確かな除害技術がないという状況は正の取引費用をうみだし、この取引費用が環境政策の意思決定に影響を与えるという環境経済学上の意味について明らかにした。この成果は学会報告や『環境政策史研究会ディスカッションペーパー』として発表しつつ、学術雑誌に投稿し審査中である。 第二段階の特徴は、ここではじめて客観的な数値による公害認定基準が策定され、知事が公害問題に主導的に対処する制度が整った点にある。この時期、県は独自に水質基準を策定しつつも、旧水質二法が制定され国と県との役割分担の調整が求められていたときでもあり、我が国の水質保全政策のはじまりであった。しかしこの点は十分に検討されてこなかったし、地方公共団体が国に与えた影響についてはほとんど論じられていない。県は国に先駆けて、県内主要河川の水質調査を実施、水質汚染の把握のノウハウを蓄積していき、旧水質二法における基準策定に影響を与えていたのである。これらの点については、現在、複数の論文を執筆中であり、できるだけ早急に学術雑誌に発表したい。
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