研究概要 |
紛争発生にかかわる既存の因果論を批判的に乗り越える理論的視座とフィールド研究アプローチを、今年度の研究成果として明らかにした.イートン[Eatom 2008]は,紛争の解決をミッションにすえる幾多の開発援助組織がその真摯な努力にもかかわらず挫折をくりかえしており,紛争の「根本原因」の同定とその除去を追い求める発想と実践をやめないかぎり,いつまでもおなじ失敗をしてしまうだろうと書いている.曽我[2007]は,ソマリア・ナショナリズムを脱政治化したイギリス国営放送をめぐる研究をあらわしているが,そこでは,マスメディアによる紛争発生要因に関するステレオタイプの再生産過程がえぐりだされている.また,ストレイト[Straight 2009]は,サンプルに関して「牛略奪紛争で落命する牧畜文化集団である」という文化的ステレオタイプを流布するメディアによる表象が,日々くりかえされるLICから時間性や政治性を脱色していること,地元出身の国会議員や地方政治家など政治エリートの過失や経済的・政治的権益をおおいかくし,社会の周縁化を促進してしまうことを指摘している.アフリカにおける民族紛争の動態を資源紛争との関連から考察し,資源の稀少性を紛争の根本原因におく現代紛争イデオロギーの席捲をみぬいている藤本[2010]は,きまり文句的な紛争説明は紛争の解決や予防への努力をミスリードするだけでなく,新たな紛争の火種となる危険さえふくんでいると指摘している.当該年度研究は,これらの疑義の声に呼応して,紛争の発生原因を「資源の稀少性」や「文化的な固有性」,そして「自動ライフル銃の一般化」などに還元する思潮にたいしては批判的な立場にたって実施した.なぜならば,ファーマー[2011]のいうように,集団間の文化的敵意や自然資源の経済的競合などに,紛争の根本原因を本質化させてとらえてしまうと,歴史的・経済的な状況によって重層的に規定されるソーシャル・サファリングがおおいかくされてしまう危険がでてくるからだ.紛争をめぐる議論の歴史的な変化によりかかって「分析」をすすめるのではなく,またあたらしい根本原因やすでに指摘されてきた原因の相互的な配列を検討するのでもない,現地住民が,本質的に相容れることのできない異他的な存在として政治・行政・軍によって他者化されている武装解除政策のもとでの対象社会の内実にわけいり,人びとの日常的な生活の感覚や論理を理解することを重視してゆくために具体的な作業として,銃がどのような歴史過程でどこから流入してきたのか,現在,人びとは銃にどのような価値を付与しながら利用しているのか,銃が一般化した状況にたいして政府がいかなる武装解除の介入を試み,それにたいして地域住民はどのように対応しているのかを解明した.
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
既発表の成果でみたように,現在実施されている武装解除計画で住民が連行されたとき,家族や友人は収容者の解放につとめる.解放を実現する有力な手段のひとつ,銃の新規購入や,収容者以外の所持者による銃の代理提出は政府軍への銃の提出という「成果」だが,収容者の自由とひきかえに銃を入手するという欲求をあらたに刺激している.収容者自身の身体的受苦だけでなく,その解放を支援する者たちにたいしても経済的な損失という不条理な受難をもたらしている,強制連行をこばみ,集落からつれだされる過程で自殺をはかる者がいる.みずからを抹消することによって,捜査の必要性と周囲の人びとの支援対象自体を消去し,他者の生存をおびやかすまでに自己の生存に固執する意思はないことをしめすためである.住民の協同的対処は,カラモジャでの武装解除政策の文脈でのコレクティヴ・パニッシュメントを理解するためには,親密な他者の身体的暴力への配慮を共有する支援者たちがこうむるさまざまな苦しみも考慮する必要があることを示唆している.研究目的の想定をこえる重要な示唆である.
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今後の研究の推進方策 |
包囲捜索強襲がコミュニティ全体を対象として実行され,その過程で銃所持のみならず,カラモジャの牧畜民の伝統的な身なりや実践が抑圧の対象となる.彼らの外貌と振る舞いの独自性こそが,「教化」の過程でつみとるべき標となっていた.武装解除は,野蛮な牧畜民の教化という正義の意識によるささえをえた暴走という性格がつよい介入であったと位置づけられる,カラモジャに駐留し,現地で実働する末端の兵士たちを改善された行動規範のもとで訓練すれば,問題は解決するのか.その検討が必要である,ヒューズ[Hughes 1964]は,ナチスドイツで「汚い仕事」を一般市民としてのナチスの親衛隊がどのようにおこなっていたのかを問い,この仕事が「善人」によってなされていると示唆した.彼らは他者がやってほしいと願いながらも自分たちはやりたくない,あるいはとてもはずかしくてできないことを率先しておこなった模範的市民だった.虐待主体の実行を観察することがフィールド研究にとって倫理的であるかを検討したテイラー[Taylor 1987]は,北米合衆国の精神病院で日常化している入院者への身体・性暴力をつうじての非人間化(dehumanization)は院外の「正常者」からの隔離と教化への期待にたいする,ケアテイカーたちによる応答にほかならないと説く.これはカラモジャで武装解除にかかわる兵士たちにもあてはまる.グローバルな民衆への権力による抑圧機構の比較相対作業を推進する必要がある。
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