本年度は、フィリピンの首都マニラにおけるムスリム女性の政治活動に注視した。そのため、夏期においては、40日弱のフィールドワークを実施した。そこで明らかになった点は下記のとおりである。 マニラで勉学に従事するムスリムの若者を中心に『スアラ・カバタアン(若者の声)』というニュースレターが1992年から発行され、マニラのムスリム・コミュニティにて無料で配布されていた。内容は、その時々の政治とフィリピン・ムスリムとの関係、フィリピンのムスリム女性としてどう生きるべきかをつづったものである。これらの編集者・発行者となった女性とはどのような人物だったのか。同雑誌のバックナンバーの収集と共に、編集者として名を連ねた方たちに連絡をとると、左派系の学生運動に従事しているグループが中心であることがわかった。その幹部のなかに幾人かの女性たちがいた。当時の女性による政治活動は、主として、貴族層で高学歴の女性たちに限られており、自身の社会資本に基づいて活動が展開されていた。ただ、これら女性たちは決して自らがリーダーに就かなかった。横で男性メンバーを支えながら、ムスリム社会の改革をうながそうとした。それというのも、彼女たちは伝統を重んじる貴族層出身であり、仮にムスリム女性がリーダーになったとき、年長者たちの不興を買い、フィリピン・ムスリム社会の改革をうまくやっていけないのではないかと危惧したからである。 MYSAの活動やその組織構成は、その後、別の組織として発展した。現在では平民出身の女性がリーダーシップをにぎっている。彼女がいかにしてムスリム組織のリーダーとして活動しているのか、また、年長者からの不満をいかにかわし、説得しているのか。このことについて当の女性への聞き取りをおこなった。すると自身の熱意と、男性をないがしろにしない態度から、賛同してくれる方が出てきたと語ってくれた。総じて、この事例は、フィリピン・ムスリム女性の政治活動にみられる女性の政治的・社会的位置づけが、90年代初頭から今にいたるまで、少しずつ変化していることを物語っている。なお、現在は、これらの聞き取りを研究ノートとしてまとめる作業をおこなっている。
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