本年度の研究は、ミシェル・アンリの哲学に即して「悪の問題」を論じるための準備段階として、アンリ思想の総体を「性」と「身体」という観点から読み直すことを最大の目標としてきた。これらに関するアンリの思考はきわめて独創的であるにもかかわらず、これまでの研究史の中で十分論じ尽くされたテーマであるとは言えないため、本年度の研究にはそれなりの学術的意義があったものと考えられる。第一に、『精神分析の系譜』(1985年)の読解を中心に、アンリの自己触発論をフロイト精神分析における欲動の内因的刺激の議論に重ね合わせることで、「性」の問題へとアプローチするための理論的な道筋を作ることができた(来年度公刊予定の論文「生の自己刺激-アンリのフロイト読解をめぐって」を参照)。第二に、晩年の著作『受肉』(2000)の第二部において現れる「肉のコギト」もしくは「キリスト教的コギト」の概念を明確化することによって、アンリ身体論を古代教父神学との関係の中で捉えることに成功した(今年度発表の「肉の現象学におけるキリスト教的コギト」を参照)。第三に、初期のピラン論『身体の哲学と現象学』(1965年)と『受肉』との連関を重視しつつ、セクシュアリテやエロスの問題に対してアンリがどのような哲学的把握を行っているのかを検討することとなった。この三つ目の作業にあたっては、今年度になってようやく公開された1940年代から50年代にかけてのアンリの草稿群(「他者経験についてのメモ」)を利用することにより、研究が大きく進展した。
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