当初24年度に計画していた「徳倫理学における反省概念の解明」ならびに「自己批判としての反省」の研究は、すでに22年度の研究成果「倫理に向かう哲学」において主題的に論じた。だがその反面、22年度の課題であった「反省哲学の源流をたどり直す作業」が不十分であったとの認識から、24年度は、その源流に位置するメーヌ・ド・ビランの反省概念を、言語的記号の獲得・使用における役割という観点から考察した。そしてその成果を、論文「声を介したコミュニケーションを可能にするもの -メーヌ・ド・ビランの記号論における統覚と「モラルの力能」-」にまとめた。 コンディヤックからの影響とその批判という文脈でビランの記号論の基本構想を概観した後、個人間の声を介したコミュニケーションはいかにして可能となるのか、その可能性条件の解明において身体運動に注目することはいかなる意味を持ちうるのか、という問いを立て、一個人内部での観念の呼び戻しに限定されない記号の機能をビランの議論のうちに探った。ビランが各著作でたびたび言及する幼児の言語習得の論述を詳細に検討した結果、彼が、声によって他者に働きかけうることの認識を「モラルの力能の感知」と呼び、発声運動を原因、それに対する他者の応接を結果とする因果的認識すなわち統覚と規定していることを見出した。これに基づき、呼びかけと応答というコミュニケーションの根源的な次元の成立には、先述の統覚と反省の働きが寄与している可能性を示唆した。こうして、ビランにおいて、反省が、倫理―厳密には当時の用語で「モラル」―と深く関わるものと捉えられていること、つまり、認識的機能のみならず実践的機能も担っていることが明らかになった。 この成果を踏まえ、2013年3月に京都大学で開催されたフランス語圏国際哲学会では、記号使用における反省の役割を主題とするフランス語での発表を行った。
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