本研究は、アリストテレスがすぐれて人間的な知のあり方として観想的‐理論的なエピステーメーと区別した実践的知識(フロネーシス)を、人間の全ての知のモデルとして再考することで、行為論・認識論・言語哲学において新たな思考パラダイムを提供することを目指して出発した。しかし、その過程で明らかになったことは、この哲学的研究自体が、そしてまたそれを述べるための言語も、そのモデルから自由ではありえないということであった。こうして、哲学的言語といえども、「われわれのやっていること」を、超越的な視点から記述することはできず、したがって、哲学的言説は通常の言説と同じようになにかを語るのではないことが明らかとなった。
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