研究課題/領域番号 |
22720057
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
濱崎 友絵 早稲田大学, オープン教育センター, 助教 (90535733)
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キーワード | 音楽の近代化 / トルコ音楽の西欧化 |
研究概要 |
本研究の目的は、1917年に誕生したトルコ初の公立音楽学校「ダーリュル・エルハーンDarul-Elhan」が、設立時より教授されてきたトルコ古典音楽教育を廃止し、西洋音楽教育に転換を図った背景とその実相を検証することで、トルコ共和国建国期にける「トルコ音楽」の西欧化の具体例を提示することにある。 上記の目的を達成するため、(1)ダーリュル・エルハーンの設立背景の概要、(2)当該音楽学校における西欧化の進展の実相、(3)体制変革をめぐる議論、という三つの考察軸を設定した。本年度においては、上記(2)西欧化の進展と実相に焦点を当てるため、2011年8月に約二週間にわたりイスタンブルにおいて一次資料と所蔵調査と収集をおこなうと同時に、ダーリュル・エルハーンが1924年から26年まで刊行した機関紙『ダーリュル・エルハーン・メジュムアス』の読解を進めた。 当音楽学校における西欧化の進展は、教育省からイスタンブル県庁の管轄となった1923年が一つの節目となったといえる。同年、「西洋音楽科」が設置されるとともにカリキュラムにも西洋音楽関連科目が加えられ、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、声学、合唱と順次、専門教師も採用されるなど、制度面での西欧化が目に見える形で進んでいったことが各資料から裏付けられる。また1924年に発刊された『ダーリュル・エルハーン・メジュムアス』(第2号)に記録されているダーリュル・エルハーン主催の公開演奏会の演目内容を読み解いてみると、「西洋音楽科」による演奏プログラムは、吉典派からロマン派を中心とするオーケストラ作品やピアノ協奏曲などから構成されており、演奏レベルはともかく、西洋音楽科設立からわずか一年足らずで、制度面のみならずソフト面でも西欧化が進展していたことが指摘される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
『ダーリュル・エルハーン・メジュムアス(音楽学校雑誌)』(全7巻)の読解作業に時間がかかっている。当該雑誌は、ダーリュル・エルハーンが刊行した機関紙であり、当時(1924年~1926年)の転換期における音楽変容の内実を知る上で、きわめて重要な一次資と位置づけられることから解読を続けているが、アラビア文字からのローマ字への転写、さらに日本語への抄訳という一連の作業に想定以上の時間を要している。
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今後の研究の推進方策 |
まず24年度の上半期で『ダーリュル・エルハーン・メジュムアス』の読了を目指す。また、ダーリュル・エルハーンにより1926年から出版が開始されたトルコ民謡集およびトルコ古典音楽譜例集が、アタテュルク図書館に現存していることが昨年度の調査から明らかとなったが、これら楽譜集の検証には相当の期間を要することが確実であることから、本研究課題では詳細を扱わず将来的課題と位置づけることとしたい。下半期においては、共和国成立以前のダーリュル・エルハーン(1917-1923)時代および共和国成立以降のダーリュル・エルハーンからイスタンブル音楽院への移行期(1923-1927)における音楽変容について、これまでの資料と調査をもとに考察を加えてゆく。
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