平成22年度は、8月に和歌山県新宮市の佐藤春夫記念館で所蔵資料(おもに創作ノート)の網羅的な調査を行った。戦争詩を多く発表した春夫にとって、戦後文壇への復帰は極めて困難な課題であったが、疎開者として自己の批評的立場を回復していくプロセスがある。このことを、創作ノートも含めた戦後詩の推移稿を検討することで、ほぼ裏付けることができたと考えている。収集した情報については、リストの作成が終わり、その次の段階として翻刻作業と内容の検討に入っている。また本研究では、近代文学におけるナショナル・アイデンティティの形成過程を跡付ける目的から、春夫の台湾・福建旅行の周辺資料にも注目しているが、平成22年度はこの方面でも特に大きな収穫があった。まず8月に台北を、9月に厦門を、2月に台南・高雄をそれぞれ訪問し、現地の郷土史家や関係者遺族に聞き取り調査を行った。その際には国内で入手困難な文献資料も多く目にすることができ、春夫の初の外国体験について、数多くの新たな事実が判明した。この成果は肉筆資料や絵画との関連を含め、『南方紀行』の詳細な注釈として順次公開して行く計画である。今年度はその手始めに、民国初期の軍閥割拠状況をふまえて、春夫の中国旅行に見られる鋭い観察眼と盲点とをあぶり出す活字論文を一本公表することができた。中国旅行は大正中期に流行し、いわゆる"支那趣味"熱を日本の文壇に吹き込んだが、春夫の旅行は他の文学者と異なり、中国人の案内で現地の生活空間にもぐり込むという、当時としては異例の中国旅行であった。この体験の特異性を数多くの同時代資料で裏付け、春夫が「日本人」としての自己省察を深めていく様相に迫ることができた。
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