平成23年度は、財団法人柿衛文庫・八代市立博物館未来の森ミュージアムに調査に赴き、西山宗因の自筆にかかる短冊・色紙・懐紙・書簡について、装訂・法量・下絵等の書誌データを筆記収集のうえ、当該資料の画像をデジタルデータにより収集した。さらに、収集したデータごとに詠作年代・詠作の場等について推定を加えつつ、西山宗因書跡資料のデータベース作成に当たった。西山宗因書跡資料データベースの一部は、平成24年刊行予定の『西山宗因全集第5巻伝記・研究篇』(八木書店刊)に、「宗因書影」として収録の予定である。また、如上の資料調査の過程で、新たに、西山宗因書写巻を含む『源氏物語』の存在が判明したため、急遽、所蔵者(個人)の許可を得て、現物調査に当たった。当該の『源氏物語』は、同一の級子表紙を有する綴葉装で、五十四帖が揃い、三つ葉葵紋付の漆塗箱に収められて伝わる。添付の筆者目録によれば、五十四帖は二十八名による寄合書で、外題は全帖とも八条宮智仁親王の染筆にかかるという。書写時期は、諸徴証に照らして寛永四年頃と推定される。里村南家の昌琢が桐壷巻を、同北家の玄仲が夢浮橋巻を書写するほか、里村家連歌師が書写者の多数を占める。宗因は当時二十三歳、里村南家に留学中の身であり、昌琢の推挙によって書写の業に加わったものと思われる。宗因書写にかかるという紅葉賀・宿木巻について、デジタルデータを収集のうえ、その筆蹟を精査したところ、各巻冒頭部分には後年の宗因の筆蹟の特徴はほとんど認められなかったが、後半に及ぶに従って宗因筆蹟の癖が現出し、「庭」「院」「和」「腹」「君」「声」「夜」「部」「泉」「の」「れ」「け」等の諸字に、特に顕著な例を見出すことができた。両巻は宗因書写本の最古の例として貴重であり、宗因が修行時代から大名貴顕特注の嫁入り本書写に携わっていた事実が知られ、連歌師の書跡の意味を考えるうえでもとりわけ重要な事例と言える。
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