本研究では、従来の文学史観では周縁領域に位置づけられ、埋没していた明治期の翻訳文学テクストを新たに分析の対象とし、幻想文学というジャンルとの方法的接点を探りつつ歴史的・理論的な考察を加えた。 具体的には、明治期の新聞雑誌媒体を中心に翻訳テクストを取りあげ、それが幻想文学の方法として受容・洗練されてゆく様相について個別の事象に即して分析・考察を加えた。とりわけ従来の文学史記述では周縁に埋もれていた翻訳(翻案)テクストを対象化し、文化史的・政治的観点から新たに光を当てる目的から、井上勤(1850-1928)や森田思軒(1861-1897)のテクストを分析し、それらに大きな影響を受けた作家として泉鏡花(1873-1939)の幾つかのテクストの幻想性について論じた。また、従来欠けていた通史的な展望を見据えたテクスト分析によって、〈近代〉に関わる既存の明治文学・文化史を今日的意義の認められる形に書き換えるための端緒を開くという目的から、多和田葉子(1960-)のテクストをあわせて取りあげ、考察を加えた。近年のトランスレーション・スタディーズの知見によって、原文/訳文という単純な図式や「意味の再現」といった発想が廃棄される契機が見出され、〈翻訳〉の創造性が本格的に問われはじめてきているが、いずれも、近代の初発期あるいは現代における〈翻訳〉の意義をアクチュアルに示す事例として注目すべきものである。 以上の研究によって、文学における幻想性が、言語的な移動・変容・越境をもたらす契機として翻訳と理論的に近接することを実例とともに示し、日本近代の文化的制度の成立過程に決定的な形で関与した〈翻訳〉が幻想文学にどう作用したのか、また逆に幻想文学の表現機構が日本近代の言語観や精神構造にいかなる形で関与したのかという実態を明らかにするための端緒を開いた。
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