「国民小説(national tale)」は、19世紀初頭のイギリス・アイルランドの「合同」を背景にアングロ=アイリッシュ系作家によって確立された。イングランド文化を標準としながらも文化的に柔軟な連合王国のあり方を模索することから小説の文学性を高めた重要なサブジャンルとされる。その主要作品では、イングランドの文化的他者として構築されるアイルランド像とオリエント像がしばしば交錯する。 本研究では、その交錯の検証を通じて、イングランド文化にとっての他者性を重層的に解明し、イギリス、アイルランドの国民性の(再)定義について理解を深めることを目的とする。同時に、イギリス・アイルランド文学史観の見直しも試みる。 平成24年度は、平成23年度以来のケース研究を拡大し、ロンドンの文壇、大英帝国の「ケルト辺境」としてのアイルランド、英語圏へオリエンタリスト言説を輸出したフランス、アイルランド人のルーツのひとつとしてみなされる地中海世界、中東、南アジアを結び交錯する文化・政治言説のネットワークの中に対象テクストを捉えることによって、そのネットワークに内在する大英帝国の支配理念(イングランド文化を標準としながら、文化的に柔軟な支配階級を創出するシステムの理念)の一端を検証した。この検証を踏まえて、アイルランド文学研究へのポストコロニアル批評理論の援用の妥当性を再考した。また、北ヨーロッパのプロテスタント的価値と結びついたリアリズムを19世紀小説評価の規範とする傾向にあるイギリス・アイルランド文学史観の修正を試みた。資料収集は夏期に大英図書館をはじめとする英国内の図書館で行った。成果は、論文5本(既刊・掲載決定4本、査読中1本)にまとめた。
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