本研究の目的は、9.11同時多発テロ以降のイギリス小説(たとえば、イアン・マキューアン『土曜日』)などが多文化社会と暴力をいかに表象しているかを探ることである。とりわけ、(1)9.11以前のテロ表象(たとえば、ジョーゼフ・コンラッド『密偵』)や同時代の他言語文学(ヤスミーナ・カドラ『テロル』)と比較して暴力表象がどのように異なっているか、(2)新左翼思想や多文化主義政策への幻滅がどのように作品の世界観に影を落としているか、という2点を明らかにする。平成22年度は、ゼイディ・スミス『美について』およびサルマン・ラシュディ『道化師シャリマー』を中心に研究した。現代文学作品は評価も変わりやすいため、作品論などの二次資料を網羅的に収集し、批判的に検討するだけでなく、国際学会などにも積極的に参加するようにした。特に平成22年9月にセント・アンドリューズ大学で開催された21世紀ヨーロッパ文学会では、「9.11以降の演劇」がパネルとして組まれており、示唆に富むものであった。こういった研究を通じて、『美について』が新左翼思想や多文化主義政策への二律背反的な立場で書かれた作品であるとすれば、『道化師シャリマー』は「マジック・リアリスト」「ポストコロニアル作家」というイメージから期待されるリベラル左派的な作家像を覆す試みだという結論に至った。『美について』については、既に投稿していた雑誌論文がARIELに掲載されたほか、21世紀ヨーロッパ文学会において発表しており、これも近々論文にまとめる予定である。『道化師シャリマー』については論文を一通り校了し、投稿準備中である。
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