本年度は主として、第一次世界大戦期に書かれた戦争小説を分析対象とした。なかでも最も有名なアンリ・バルビュスの『砲火』(1916年)については、塹壕や死傷者の表象について、そして、この時期の戦争小説の特色をなす口語・俗語文体が持った意味と、それが後世の文学に与えた影響について、詳細に検討した。その際、当時の人々にこの作品が与えた衝撃をより明確に理解するため、この作品の前年に出版され、やはり大きな評判となった、ルネ・バンジャマンの小説『ガスパール』と比較した。さらに、大戦期から一九二〇年代にかけて書かれた戦争文学(日記や書簡、回想録も含める)を渉猟し、証言としての真性さという価値から評価したジャン・ノルトン・クリュの『証言者たち』(1929)において、バルビュスらの著作がどのように評価されているかを分析し、戦間期における戦争文学の受容について調査した。この最後の点については、今後とも研究を続ける予定である。2010年5月にはベルギーとフランス北部(ソンム)を訪れ、戦跡や博物館での調査を通じて、大戦の実態について理解を深めた。特に、ペロンヌにある「大戦歴史博物館」での調査は、該博な知識を有する当地の学芸員にも助けられ、有意義なものとなった。ところでこのような調査を通じて明らかになったことは、戦争小説もその一つの構成要素である、第一次大戦の影響によって作られた文化の全体像を解明することの必要性である。欧米の歴史研究者たちは、これを「戦争文化」と呼んで、新聞雑誌等のマスメディアから子供の玩具に到るまでを調査対象として、人々がどのように戦争状況を受け入れ、またそれに反応したかを明らかにしようとしているが、この方法論を借用し、それを文学・芸術に適用して、大戦当時の状況を幅広く再構成しようと試みた。その成果が、『表象の傷-第一次世界大戦小説からみるフランス文学史』である。
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