今年度、本研究者がまず取り組んだのは、桑摘みの女性が主人公である楽府「陌上桑」の南北朝時代の模擬作品の研究である。南朝梁陳期の詩人である張正見が制作した「艶歌行」は、『楽府詩集』では「陌上桑」系列の作品群に属している。この作品に見られる「夫の帰宅」という特徴的要素は他の陳代詩人の「陌上桑」の模擬作品には見られず、青年期に張正見が所属していた文学集団の領袖、梁の蕭綱の模擬作品に始まるものであった。そして、この要素は夫婦の幸福を頌するものであり、夫婦など家族の幸福を象徴的に描くことは、国家の平和を祈念するものであった。以上のような梁代文学の傾向が張正見の「艶歌行」にも影響を与えたと考えられる。 今年度、本研究者が次に取り組んだのが梁の蕭綱における「言志」の意味の再検討である。死の直前、幽閉中に蕭綱が制作した作品として詩歌「被幽述志」一首と「連珠」三首が残されている。これらの作品に見られる特徴的表現から、蕭綱の思想の根幹は儒教にあったことが理解される。彼にとって死は儒教の王国である梁朝からの退去であり、文学活動を共にした文学集団のメンバーとの別れであった。そのことを題材とした詩歌には「述志」という題名が付された。本研究と本研究者の以前の研究の成果から、蕭綱にとって「言志」とは「儒教思想を共有する集団と自分との位置関係を示す」ことであり、平時に文学集団のメンバーと制作した艶詩も、メンバーから引き離されて幽閉中に制作された「被幽述志」も、両極端ではあるが彼にとって「言志」作品であった。そしてこの「言志」は伝統的な儒教の文学思想に違反するものではなかったと位置づけることができる。
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