論文「唐代における杜甫詩集の集成と流伝(二)」において、『文苑英華』所収の杜甫詩と杜甫と唱和した他詩人の作品、計二六二首について、『宋本杜工部集』との異同を調査し、全く異文のないものはわずか詩二十三首に止まり、それ以外の二三九首すべてに異文が見られること、その二三九首のうち、個々の句において異文が確認できるのは七二七箇所にのぼることを指摘し、この数の多さから、北宋期の『文苑英華』と王洙本『杜工部集』では底本とする杜甫詩文集テキストが異なる、と結論した。 さらに論文「唐代における杜甫詩集の集成と流伝(三)」で「中唐期にすでに杜甫詩文集の定本が存在し広く流通していたとは考えにくい」と述べ、さらに論を進め、王洙本『杜工部集』と、幾つかの事例では明らかに唐紗本の原貌を留めている『文苑英華』とが大きく異なる以上、中唐期から『文苑英華』までのあいだに、王洙本『杜工部集』と変わらない完全さを備えた杜甫詩文集のテキストが編集されていたと想定することも難しくなると推測した。 これらの研究成果に基づき、先行研究がその存在を推測する、「北宋の王洙が編集する以前、すでにその(引用者注、杜甫の)全生涯の作品を網羅した」杜甫の詩文集は、仮に存在していたとしても、古体詩三九十首、近体詩一千六首を収める王洙本『杜工部集』のごとき全きものではなかったと判断した。杜甫が没した直後に編集され二百九十篇の杜詩を収める樊晃『杜工部集小集』は杜甫の全生涯の作品を網羅しているが、安禄山の乱が勃発後から四川に流寓した時期にかけての作品が多く、それに次いで最晩年の湖南漂泊期の作品が多く収められる一方、安禄山の乱勃発前の作品と〓州時代の作品が少ないなど、収録される杜詩は制作時期によって偏在している。『文苑英華』所収の杜詩もそれに似た傾向を示している。『文苑英華』もまた『杜工部集小集』『唐詩類選』と同じく、部分的に収集されて成立した、おのおの独立した複数の杜甫詩文集を参照していた可能性を指摘した。
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