本年度の研究成果は次の4点である。 第一に、トートロジー「XはXだ」が豊かな主観性を持つのは「XはXだ」の情報量が乏しいためであるとする「主観性仮説」を退けた。主観性仮説は情報量と主観性の測定基準に問題を抱え、この問題を克服するべく仮説を改訂していくと、ついには1980年代のラディカル意味論と同等の意味論に行き着く。この点で、主観性仮説はトートロジー研究を20年以上後退させる非生産的なプログラムであると言える。 第二に、矛盾文「XはXでない」が規範的解釈「Xと呼ばれている対象をXと呼ぶべきではない」を持つのは、(i)その対象がXであるかどうかに関する判断の食い違いが事実認識の食い違いによるのではないとなされ、かつ、(ii)不一致を起こしている他者を話者が自らの言語共同体の成員と見なし続けるときである、ということを示した。 第三に、トートロジー「XはXだ」のすべての用法に共通する字義通りの命題(最小命題)が存在し得ないことを論証した。「XはXだ」は、Xについて何かを述べる事実命題ではなく、語Xの定義を提案するために用いられることもある。我々が常に意味の固定した言語表現を用いてコミュニケーションを行っているという描像は幻想に過ぎない。 第四に、「XはXでない」と「XはXだ」の対立が、言語内論証理論が言うように論証的なものではなく、また、認知意味論が言うように概念的なものでもなく、Xの定義をめぐる言語的なものであり、これらの発話がXの異なるステレオタイプを提案するものであることを示した。ステレオタイプを言語的意味に組み込み、言語的意味の一致を言語共同体の定義に組み入れる近年のステレオタイプ理論によると、これらの発話の話者は異なる言語共同体に属していることになる。我々が常に同一の言語共同体の内部でコミュニケーションを行っているという描像は幻想に過ぎない。
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