本年度の主要な成果は次の二点である。 (1) 自然言語の規範性の源泉を解明した。矛盾文「XはXでない」は、事実報告(「問題の対象はXと呼ばれない」)として解釈される場合と、規範性言明(「問題の対象はXと呼ばれるべきではない」)として解釈される場合とがある。矛盾文が規範性言明としての解釈をもつのは、(i) 語Xの適用に不一致が生じ、(ii) その不一致が事実認識の不一致によるものではないとみなされ、(iii) 不一致を起こしている他者を話者が自らの言語共同体の成員とみなし続けるときであり、かつそのときだけである。コンディヤックの「二つのまちがい」をめぐる議論をふまえると、事実認識に基づかない判断がくいちがう場面では、当事者が属する言語共同体の存在が浮かびあがってくる。このとき、ウィトゲンシュタインの言う言語(によるコミュニケーション)の成立基盤を回復すべく、言語使用者たちが再び一つの言語体系に収束していこうとする運動が生じ、ルソーの「同胞と憐れみ」の原理により、言語使用の不一致を起こしている他者は「矯正されるべき他者」として立ち現れる。 (2) 複数の言語体系の対立という観点から、a = b 型の同一性言明をめぐるパズルを解消した。同一性言明を事実言明だと考えると、自然言語の固有名が実は固有名ではないという逆説的な結論に至り、文法言明だと考えると、その認識価値が説明できなくなることが知られている。本研究では、a = b 型の同一性言明が、現に使用されている二つの記号aとbのあいだの真理保存的置換可能性を述べる文であるという事実に注目することにより、文法言明説の難点を克服した。文法言明は、それ自体が認識価値を有するのではなく、その規範的力(今後aに関するいかなる命題Pに出会おうとも、Pは、aをbに置き換えて得られる命題Qと同一の真理値をもつ)により、間接的に認識の拡大に寄与する。
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