本研究においては、早稲田大学服部文庫所蔵の『朝鮮語訳』について言語学的検討を行った。まずハングル表記に対する仮名転写表記を分析してから対応表を作成し、おもに母音表記の特徴を調べた。特に二重母音表記の中で、エ段で表記された例に注目した。その様相は語頭よりは非語頭に多く、意味的形態素より文法的形態素でよく現れている。二重母音に対するエ段表記は単母音化を反映する表記として認められるので、『朝鮮語訳』が成立した18世紀初期に語頭と非語頭において単母音化が起きていたと言える。 また建仁寺碩学僧が作成した唱和集を分析し、その内容を通じて、碩学僧は宗教活動や外交活動のほか、文芸活動にも積極的に取り組んでいたことを確認した。唱和集は碩学僧と朝鮮通信使による文化交流の重要な一面を示すものである。両足院所蔵の詩集三編『朝鮮国三使詩集』『鮮人贈答詩』『朝鮮人紀行』を分析した結果、日朝外交の場において漢詩唱和は、主に日朝知識人の親交の手段として活用されたことが分かった。漢字文化圏の教養人に近づこうとしていた碩学僧は朝鮮通信使の漢詩を写して学習に活用していた。その過程で相手国の言語(口訣・ハングル)について関心を示すようになっていた。一方朝鮮通信使一行は、和語を韓国字音、あるいはハングルで表そうとした。これらの記録は相手国の言語を学習した根跡と見なせる。つまり、両国の知識人が互いの言語を理解しようと努力し、さらに固有語による意思疎通を図っていたと理解できる。
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