本研究では、戦前から戦後にわたって活躍した婦人活動家に関し、とりわけ戦時の「戦争協力」において「転向」を伴ったものとして把握されがちであることについて、むしろそうした事態を招来する必然性を、戦時と戦後の政治・社会構造との関連から読み解いた。 大正期から昭和初期にかけて、婦人運動は少なからず、婦人参政権獲得に向けた動きと連動する。奥むめおの場合、そこから、より女性の「生活」に即した活動へと進み、女性に対する生活支援や救済に取り組んでいく。そしてその延長線上で、戦時においては、婦人を督励する立場に身を置く。その際、戦時体制を女性の社会進出と権利獲得の糸口にしようとする意気込みと、生活者としての女性の要求が行政施策になかなか反映されていかないことへの批判という、二つのベクトルを持つに至ったものの、戦時体制そのものへの批判は顕在化しないままとなった。 この体制へのラディカルな批判の弱さと、「女性の要求」を行政に認めさせようとする思考/活動のスタイルは、戦後になってからの消費者運動に形を変えて持ち越される。そこでは、行政や資本との間に、緊張関係をはらみながらも、決定的な対立や批判を回避したいささかいびつな「共存」が果たされることになる。 一連の過程で、「生活」が一見するところ極めて即自的で切実な営みであることと、「生活」が不断に多様なポリティクスのさなかに置かれ続けているゆえに作用する「動員」の力との、緊張関係がそれ自体としては対象化されにくかった。しかも、戦時から戦後を通じて、行政においては、奥が見ようとした「生活」が政治課題としての比重を増すことで、対象化がますます困難になった。このことを、活動家の「主体性」や「思想性」に帰することをひとまず留保しながら、近現代における私生活領域をめぐる政治の作用として、実証的に読み解いたことが、本研究の主要な成果である。
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