研究概要 |
本研究は,清朝(1616~1912)康煕年間(1662~1722)の政権上層部の権力構造を,おもに当該時期の皇位継承問題を題材として分析し,その実態を明らかにしようとするものである。研究方法としては,満洲語史料(上奏文原本の影印史料集)等を積極的に利用し,皇帝(康煕帝玄〓)・旗王(有力皇族)・権門(有力満洲貴族)の三者間の関係を,清朝の軍事・社会制度である八旗の支配原理の中であらためて捉え直して分析する。 以上の研究視覚・手法に従い,本年度は,康煕帝玄〓(在位1661~1722)治世下において皇位継承をめぐって生起した諸問題(皇太子冊立・廃嫡問題・後継者選定・雍正帝即位など)を,まず時系列的に整理・分析し,今後の研究の大枠を提示した。本年度ではとくに,清朝の慣習とは異なる中華王朝風の嫡長子の皇太子冊立が,なぜ康煕十年代という康煕朝初期に実現されたのかという問題を考察した。その際に重要な存在として取り上げたのが,正藍旗和碩安親王家(太祖ヌルハチの第七子アバタイの家系)であり,かれらの動向や婚姻関係,麾下のニルや氏族を明らかにすることで,従来はあまり注目されてこなかった当該旗王家が,皇太子の母系氏族である権門のヘシェリ氏と結びつき,皇太子を強力に支えていたことを明らかにした。そしてこの有力旗王家と権門との結びつきが,一見中華王朝風の皇太子冊立を実現させたのであり,その実態は従来と同じ有力者による推戴政権であるとした。また皇太子廃嫡後に,第八皇子胤〓が俄かに注目を浴びたのも,やはり正藍旗安親王(郡王)家と,当時の安親王家の姻戚である権門トゥンギヤ氏との結びつきという,類似した構図が存在していたと指摘し,八旗を権力基盤とする旗王の政治参与が,入関以前から康煕朝にまで継承されていたことを明らかにした。
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