研究概要 |
本研究は,清朝(1616~1912)康煕年間(1662~1722)の政権上層部の権力構造を,おもに当該時期の皇位継承問題を題材として分析し,清朝研究史上の空白となっている康煕朝宮廷政治史の実態を明らかにしようとするものである。 その方法として,新出の満洲語史料(上奏文原本の影印史料集)等を積極的に利用し,皇帝(康煕帝玄〓)・旗王(有力皇族)・権門(有力満洲貴族)の三者間の関係を,清朝の軍事・社会制度である八旗の支配原理の中で捉え直して分析する。 本年度の研究計画としては,康煕帝の心情や肉声が比較的反映されている『康煕朝満文〓批奏摺』や『清代起居注冊康煕朝』など,近年公刊された満文・漢文史料を購入し,これまで等閑視されてきた旗王・権門関係の記事を抽出し,それらの分析・検討を丹念におこなうことであった。 この方針に基づき本年度では,宮廷政治史研究の一環として,八旗の内の〓藍旗という集団を事例として,清初よりいかなる旗王家継承の過程を辿ってきたかを詳しく跡付けた。その結果,〓藍旗の筆頭格の旗王家である和碩簡親王家がその麾下に厖大な量のニルと旗人とを支配する有力旗王であること,当該旗王家の意向により〓藍旗には「国語騎射」といった満洲人の習俗がよく温存されていたこと等を明らかにした。そのため,康煕朝後半期に康煕帝の諸皇子が八旗に旗王として分封された際には,康煕帝の評価が高かった第一皇子・第三皇子の2名は,満洲の習俗を保っていたこの〓藍旗からニルが賜与されることになったのである。このことは,当該時期の宮廷政治史,とくに皇位継承問題を考える上で重要な手がかりとなろう。しかし旗王にとって厖大なニルと旗人を抱え込むことは,かれらを養育する負担の重さをも意味しており,とくに旗人の生計問題が懸案となった雍正朝以降の旗王の存在意義は,あらためて検討する必要がある。
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今後の研究の推進方策 |
康煕年間に創設された「歩軍統領衙門」について,満洲語史料を用い,分析をおこなう。とくに,康煕朝後半期に歩軍統領の地位に就いたトホチ・ロンコドは,それぞれ皇太子・雍親王(後の雍正帝)の与党であり,当該衙門と政権中枢との関係を明らかにすることが,康煕朝の皇位継承問題を明らかにする上で必要であると考えられる。
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