異動のため研究の進捗状況は芳しくなかったが、若干の成果を上けることが出来た。 まず本研究の全体像について、秋口に愛知県立大における中近世ロシア研究会にて「中世モスクワ社会における法規範一教会規定研究をもとに」の題目で報告し、科研課題の進展を図った。具体的には、前年に発表した11~16世紀の「ヤロスラフ賢公の教会規定」の諸写本に関する研究を踏まえ、ロシアにおける最新の研究であるJa・シチャーポフの研究の問題点を指摘するとともに、シチャーポフが批判したS・ユシコフの旧説を再検討し、14世紀モスクワ(および正教会府主教座)における対イスラーム寛容の法的な根拠の存在を導き出した。加えて、同じく14世紀モスクワ教会による社会規範の管理の問題について、主に妻や女性などがそれまで有していた「主権」がまさにこの時期に家父長権のもとに入り、女性が公的な法廷において原告・被告になることがなくなったこと、そうしたやり方を持ってモスクワの世俗権力が支配を強化したこと、他方で教会は裁判権の管轄範囲を狭めたことを明らかにした。この報告は質疑応答を受けた上で、現在、論文としてまとめられている途中である。 また課題の関連図書の整理に加え「ウラジーミルの教会規定」に関する研究を読み進め、現在、草稿が完成しつつある。 ただ、計画にあったロシアへの渡航は、現地の研究協力者A・プリグーゾフ氏の急死により見合わせざるを得なかった。但し、それに代わり、モスクワ大学のA・ゴルスキー氏から、科研課題と重なるテーマを扱う彼の著書の日本語訳出版を許諾され、東京の刀水書房と交渉して、早ければ次年度にも刊行できる運びとなった。 また、深沢克己編『ユーラシア諸宗教の関係史論』の第八章で、中世ロシア、ノヴゴロドにおける国家政策と宗教政策について執筆し、法制度的な建前と実際の状況との差が生みだす歴史的空間について論じた。
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