昨年度、古典期アテーナイにおけるエリート間の国際的紐帯に関してまとめた英語論文は、編者が編集に時間を要していることもあり、さらに校正を加え、新規に発表された碑文などについて、追加情報を加えた。基本的な主張に変更はなく、論点は次の通りである。民主政下のアテーナイにおいても、当該社会のエリートは、海外のエリートと私的な紐帯を保持し、政治的な力をその家柄のうちで保持する可能性があった。しかし国内外の不安定要因から、その特権的な状況を必ずしも保持し得ず、民主政期アテーナイはむしろ社会的変動が大きい社会だったと評価できる。なお、今回、資料を再度精査して得られた結果については、近刊の論文のAppendixとして公刊されることとなった。文献及び碑文史料に見られるアテーナイ人プロクセノスのプロソポグラフィを整理した一覧であり、極めて古いものを除けば、他に類例のないものである。 さらに関連史料を精査する中で、一部の史料について新たな解釈の可能性を見出したため、これについても原稿を英文でまとめた。 最終年度は、ヘレニズム期に目を転じ、アテーナイ以外の複数の諸都市について考察をする予定であったが、上記の作業に時間と取られたこともあり、ミーレートスをはじめとするいくつかの小アジア都市について概観を得るにとどまった。夏季にトルコを訪問し、近郊の遺跡、博物館で調査、資料収集も行った。これらの作業を通じ、ヘレニズム期小アジアに関しては、都市エリートと大国、とりわけヘレニズム諸王との関係が密接となり、古典期、ペルシア支配期とは異なる形で、人的紐帯を介した国際関係を構築しようとしていること、とりわけ財政支援と宗教的権威の互酬的関係が急速に重視されるようになった来たことが明らかとなった。 これに関連して学会発表を行い、論文として学術雑誌に発表した。
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