本研究は九州における後期旧石器時代から縄文時代草創期にかけての居住システムの変化について明らかにしようとするものである。最終年度にあたる本年度は、特に南九州における当該期の遺跡分布および石材消費について、当該期を10期に区分して通史的検討をおこなった。その結果、黒曜石利用には3回の画期があること、これとおおむね対応するように遺跡分布も大きく変化することが明らかとなった。 すなわち、後期旧石器時代前半期(1~3期)には、遺跡数も少なく黒曜石利用も低調で、産地周辺での限定的利用にとどまる。ただし、2期には現在知られている全ての黒曜石が利用され始めており、石器石材としての黒曜石資源利用の始まりという一大画期と考えられる。後半期初頭の5期には遺跡数が飛躍的に増加する。黒曜石利用は緩やかに増加する程度だが、重要な変化は、200km以上離れた西北九州産黒曜石の搬入である。これは前半期には認められない現象であり、集団関係の再編成あるいは集団領域の変化が背景となっている可能性が高い。続く6期には黒曜石利用が増大し、遺跡分布も高標高地にまで広がる。これは生業活動の変化と対応している可能性がある。ただし、7期には遺跡数が激減し、黒曜石利用の広がりも縮小する。続く8、9期の細石刃石器群では、再び黒曜石利用が増大し、後期旧石器時代の中でも最大となる。また遺跡数も爆発的に増加する。9期には西北九州産黒曜石の利用が特徴的に認められる。10期には 本研究の意義は次のように要約できる。 ①黒曜石利用の初現を実証的に明らかにした。この始まりは九州のみならず、日本列島全域に認められる現象であり、広く列島単位の中に位置づけうる。②石材資源利用と遺跡分布の変化を結びつきを捉えた。つまり遺跡数の増減および立地の変化と、石材資源利用の様相が密接に関連しており、よりダイナミックな人間集団の居住パターンを明らかにした。
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