公的規制は、過剰規制でも過少規制でもない最適性が追求され、また最適性が追求されていることが外部に向けて公開されるようになっている。本研究は、これらの特徴についての、批判的という意味での正確な考察をなすために、これらの特徴を強いるものとしての構造を分析しようと試みたものであった。東西冷戦終結後の時代区分においては、政治体制の別にかかわりなく、グローバル資本主義の展開と市場秩序の維持のための規制が必要であるが、この規制はリベラル民主主義と矛盾するものではない。それゆえに、過剰規制ではない最適規制でなければならないし、信頼を得るための国民に開かれた規制でなければならないのである。本研究では、規範の内面化までの過程における自己による自動的な規制装置の開発が国境を越え普遍的に試みられるようになっているところまでを明らかにすることができた。しかし、この構造に対する諸主体の相互関係性の多様性と差異については、十分に論じられなかった。なお、本研究は、以上に述べた諸問題が表現していたと考えられるという理由により、放送法制に即して行われたものである。
|