本年度は、わが国の成年後見法にも少なからぬ影響を与えていると思われるドイツ成年後見法の歴史的発展を素材として、成年後見法の有する性格について若干の考察を試みた。具体的には、ローマ法、ゲルマン法、普通法、プロイセン一般ラント法、プロイセン後見法など、1896年のドイツ民法典(BGB)成立に至るまでの成年後見法の変遷を概観した。以上の考察からは、以下のことが明らかとなった。 成年後見制度は、当初、家産の維持など家族の利益のために用いられていたが、その後官庁の介入により公の秩序を保護する警察法的役割も果たすようになる。プロイセン一般ラント法では、警察国家的思想の下、後見制度の国営化は最高潮に達し、後見は公職の遂行として理解され、後見人は国家の委任に基づき、国家の受任者として活動した。しかし、その後、プロイセン後見法においては、後見人はもはや国家の受任者ではなく、被後見人の代理人(Stellvertreter)とみなされ、後見人の監督は後見裁判所または親族会が行うようになる。そして、現在のドイツ世話法においても、後見裁判所が世話人の活動全般を監督は行うものの、後見人には一定の独立性が確保されているのである。 現代の成年後見制度の運用を考えるにあたっては、成年後見法の歴史的発展における国家(裁判所)と後見人との緊張関係についても十分に留意する必要があるように思われる。以上の考察は、「ドイツ成年後見法の発展-BGB成立以前」『高齢社会における法的諸問題』(酒井書店・2010年)323頁以下に公表した。
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