本研究は、日本が1910-1930年代のアジアで経済的な地域秩序形成を試みるなか、植民地を有した欧米諸国との間で、どのような反応と経済摩擦を引き起こしたかを、台湾銀行の南方進出という、日本の経済的伸張を象徴する事象のなかで明らかにするものである。 こうした課題のなかで、平成24年度には台湾銀行の南進について、日本および台湾での資料収集を継続し、また台湾銀行にとっての主要な進出先の一つであった蘭領東インドについての史料を調査するために、オランダ(アムステルダム、ライデン)での調査を実施した。もっとも、史料調査の結果として、当時の日本資本進出、特に台湾銀行の進出問題について記述のある史料を発掘することはできず、当初の目論見と異なり、明確な成果を上げることはできなかった。 しかしながら、本研究の課題も含めて、大きなアジア近現代の歴史を欧州や世界市場とのかかわりから考える際に、オランダ各地に現在でも残されたアジアとのつながりを示す資料や各種足跡は、オランダという17-18世紀の経済的覇者の影響力を意識させるに十分なインパクトがあった。それは同時に、その後に取って代わって覇権を掌握した英国の枠組みを中心に思考しがちな習性に、経済史研究者として大きな再考を促するものであった。 こうした大きな経済史を意識しながら、本研究の位置づけを思索することで、従来は日本の文脈から語られてきた台湾銀行の展開が、実際にはアジア史の大きな流れのなかに位置づけることが可能なことを再認識することができた。これを受けて、現在は実施してきた調査・分析内容を基礎としながら、論文の作成を開始している。
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