平成24年度の研究は、これまで収集したアメリカおよび西ドイツの一次史料を分析し、それぞれの対外政策におけるNATOを中心とした安全保障問題とヨーロッパ統合の相互関係を解明することに努めた。また、エアハルト政権期に問題になっていた多角的核戦力(MLF)を中心として、限定的ではあるが米独両国の政策を比較対照しつつ、両国の政策が相互に影響を与えあっていた面を明らかにできた。この研究成果の一部は、日本アメリカ学会が発行する英文ジャーナルにて、2013年6月に出版される。 アメリカおよび西ドイツの政策については、独自路線を強めつつあるフランスを念頭に置きながら、安全保障およびヨーロッパ統合を関連させつつ対応していたことが明らかになった。西ドイツ政府については、「フランスの覇権」に対抗する手段としてMLFを支持し、このようなレトリックによって他のNATO諸国からMLFに対する支持を募ろうとした。しかし、この態度がフランスおよび国内の親フランス派から反発を招き、かえってエアハルト政権の立場を難しくした。一方のアメリカ政府は、農業政策をめぐってヨーロッパ統合に関する対立が顕在化した1965年後半、MLFから手を引いてNATOの混乱を回避しようという傾向がみられた。 このような経緯を踏まえると、MLFおよびヨーロッパ統合に対するアメリカと西ドイツの政策に、大きな齟齬があったように見える。すなわち、西ドイツが主導したフランスに対抗する政策が、フランスや親仏派の反発を招いて対立が激化すると、アメリカが対決を避けて政策を修正したのである。西ドイツ政府にとっては梯子を外された状態となり、国内政治における立場を著しく弱めることとなる。この知見は、1966年におけるエアハルト政権崩壊の過程を理解する一助となる。
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