前年度は、主として戦前期(1930年代)における労働市場の地域間比較を中心として研究を進めたので、当年度は1930年代における炭鉱経営の地域間比較、および戦後期、とりわけ1950年代における北海道・九州地方における石炭産業の展開について、検討を進めた。 研究に際しては、当初予定した通り、三井文庫、三菱史料館、九州大学記録資料館などにおける文書資料の閲覧を中心とし、新資料の発掘に努めた。これまで利用されてこなかった北海道炭礦汽船、三菱鉱業などにおける炭鉱職員・労働者の回顧録、および主として1950年代後半における大手炭鉱の生産に関する内部統計などを入手し、整理した。 当年度における具体的な研究の成果としては主として2つである。1つは、1930年代における炭鉱経営についてである。同時期における炭鉱経営のあり方は、北海道と九州(筑豊)とで大きく異なった。筑豊炭鉱互助会を中心とする中小炭鉱、および九州の地揚大手が、財閥系を中心とする中央資本と競合していた九州と異なり、北海道では、財閥系の三社(三井鉱山・三菱鉱業・北炭)が大きなシェアを占めた。同時に、それぞれが炭鉱合併を進めたが、その背景には九州との流通諸費用の差、および当該期におけるカルテル対策があった。こうした炭鉱経営のあり方が、労働市場の相違とも相俟って、両産炭地域における地域社会としての性格の違いを生じさせていると思われる。 もう1つは、1950年代末~60年代前半における大手炭鉱の生産状況についてである。特に当該期においては、北海道を中心に、労働争議による減産が相当な量を占めることを資料によって実証し、また炭鉱における自家発電が、北海道の大手を中心にかなり進められていたことを指摘した。これらから、戦前期における地域間の相違を前提としつつ、戦後期についても様々な角度から地域間比較を行う必要があることを示唆した。
|