本研究の目的は、口腔に関する医療専門職を対象として、20世紀日本の国民の身体の医療化過程および変容に、医療専門職間の構造的関係性がどのような影響を与えてきたかを明らかにすることにある。本年度の研究成果は、(1)戦前・戦間期日本における学校歯科衛生教育の歴史社会学・医療人類学的分析と、(2)戦後における歯科衛生士の専門職化過程の分析に大別される。(1)に関しては、1930年代以降~戦間期にかけての学校口腔衛生教育、なかでも小学校における咀嚼教練に着目し、歯科医が中心となったその成立背景および実施過程を考察した。昭和期以降、予防衛生から教育的衛生へと学校衛生の理念が変容するなかで、知識涵養のみならず実践を伴う口腔衛生教育が重要性を帯びていく。そして戦間期の食糧不足の背景において咀嚼が口腔衛生教育のひとつの柱となっていくことを指摘した。さらに医療人類学的知見を援用し、咀嚼という日常の生理的行為が医療的管理のなかに組み込まれていくことの身体的および社会的な意義を明らかにした。この成果は国際学会およびシカゴ大学でのワークショップにて報告を行った。(2)に関しては、歯科衛生士を対象としたインタビュー調査および歯科衛生士会関連資料の収集と分析を行った。終戦後、GHQの主導により「外側」から作られた歯科衛生士が、他の口腔専門職との関係性のなかで自身の業権をどのように拡大・発展させていこうとしたのか。歯科衛生士界をリードしてきた草分け的存在である歯科衛生士たちを対象として聞き取り調査を行うことで、その専門職化戦略を明らかにしようと試みた。今後は他の口腔医療専門職の分析を加えることにより、医療専門職間の支配管轄権の変容過程が、われわれの口腔、ひいては身体の医療化過程にいかなる影響を与えてきたのかを検討していく予定である。
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