本研究は、戦後日本の満洲移民の言説とそれを生産する社会関係について、3つの時期に区切って進め、平成22年度は「体験』の時期(1945-65年)を扱った。重要な成果としては、次の二つがある。 第一に、1950年代に出版された「開拓団史」を収集し、それらの言説分析を行った。「開拓団史」とは旧満洲開拓団単位で出版された記録である。先行研究では、満洲移民が自らの経験を語り出したのは1970年代以降であり、「開拓団史」は先行する『満洲開拓団史』(1966)の歴史観に沿ったものとされてきた。しかし、本研究により、「開拓団史」は1952年と早い段階から出版されたことを明らかにした。「開拓団史」は引揚犠牲者の七回忌(1952)や十三回忌(1957)を記念して出版された。それらの言説分析から、「開拓団史」は、引揚犠牲者の死を意味付ける、二つの論理があることを明らかにした。一つは引揚状況を克明に記録し、集合的な死から個人の死を救う論理である。もう一つは、開拓団建設の成功を示し、引揚犠牲者を無駄死でなかったとする論理である。第二に、1945年から65年の満洲移民に関する新聞記事を収集し、それらの言説分析を行った。この間、満洲移民は中国東北地区の引揚問題、「残留者」問題として語られることが多かった。そのなかで満洲移民固有の問題として、麻山事件が取り上げられた。遺族は独自に調査し、1949年、参議院在外同胞引揚問題に関する特別委員会に提訴した。遺族の提訴を受けて、新聞は麻山事件を同胞虐殺事件として報じた。このように戦後直後は、満洲移民=被害者とする歴史観がまだ支配的ではかった。 これら成果により、『満洲開拓団史』出版以前に、満洲移民の言説が生産されていたこと、満洲移民体験者とマス・メディアの言説の間に乖離があったことが示された。このことは、戦後日本の歴史認識の形成における、1950年代の重要性に新たな光をあてた意義を持つ。
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