本研究では主に滋賀県長浜市の長浜曳山祭、及び山口県上関町祝島の祝島神舞の2つを研究対象として、戦後日本社会における地域の伝統芸能の(再)編成,そして地域の社会構造の変化を、芸能の担い手と芸能に大きな影響を及ぼす諸エージェント(具体的には文化財行政・観光産業・地方新聞社・放送局・商工会や青年会議所・保存会・NGOなど)が取り結ぶ関係性とその変容を明らかにした。 長浜曳山祭については、祭全体を執行する「総当番」メンバーへのインタビュー調査や祭の準備から執行に至るプロセスの参与観察調査のほか、大正末~現在に至るまでの「総当番」が議事録を中心的な分析材料とした歴史社会学的な研究を行い、以下の3点を明らかにした。①祭の担い手である山組が、民俗芸能をめぐる観光や文化財化といった社会的文脈を自覚的かつ戦略的に受容・活用することを通じて祭を再編成していくプロセス。②かつて農村部から雇っていた囃子の担い手が確保できなくなる中で、1970年代より町の子どもたちを囃子方として育成して幼少時から祭のシステムに組み込み、かつて階層的だった祭が、地域全体の祭という性格を強めていったプロセス。③伝統的な都市祭礼が、地方都市の中心市街地の人口減少と高齢化の中で、祭を執行するシステムを存続させる仕組み。祭を継承する若衆の外部からの受け入れと、かつて対抗関係にあった各町同士の協力体制の構築。 また祝島神舞については祝島神舞奉賛会・「上関原発に反対する祝島島民の会」のメンバー、さらに近年島に移住した人々へのインタビュー調査を通じ、かつて原発への賛否をめぐって島が二分されたことから中止された神舞が、島内の反原発住民たちの運動と結びついて再構築されていく中での変容と過疎化・高齢化の進行の中で、中国・四国地方へと移出した元島民や島外からの移住者と連携して、祭がどのように再編成されていったかについて明らかにした。
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