これまで誤った通説が信じられてきたために研究が空白であった占領期の大宅壮一(1900-1970)について、前年度、1940年代後半を中心に研究した拙論「占領期の大宅壮一-「大宅壮一」と「猿取哲」-」(『Intelligence』第11号、早稲田大学20世紀メディア研究所)を発表した。これを発展させるべく今年度研究を進めた。 まず、大宅がジャーナリズムに本格的に復帰する1950年前後の活動の一端について、日本出版学会で報告した。そして、その知見等をまとめ大宅の思想とスタイルを検討した拙論「大宅壮一の「再登場」-1950年刊行の『日本の遺書』『人間裸像』に着眼して-」(『出版研究』第42号、日本出版学会)を発表した。 このようにしてジャーナリズムに復帰した大宅は、1955年頃から「マス・コミの帝王」と呼ばれるに至る。この1950年代の大宅の活動において重要なことは、国民的雑誌とされる『文藝春秋』と1954年に発行部数が百万部を超える『週刊朝日』に、多くの期間連載を持っていたことである。『週刊朝日』における1950年代の連載に考察を加え、「マス・コミの帝王」としての大宅を戦後社会に位置づけた論考を執筆した。これは、2012年刊行予定の単行本『雑誌文化の戦後史』に収録される。 占領期の大宅に関する研究については、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター発行の『大衆文化』第6号において紹介した。また、MRT宮崎放送ラジオで2012年1月15日に放送された「サンデーラジオ大学」に出演し、占領期から1950年代にかけての期間を中心に大宅の活動について、一般市民に伝えた。 以上のほか大宅のライフヒストリーに歴史社会学的考察を加えた論考が2012年刊行予定の単行本『近代日本メディア人物誌」ジャーナリスト編』に収録される。 なおジャーナリズムを対象とした本研究を生かし、『宮崎日日新聞』の「紙面診断」欄に3回寄稿した(2011年6月5日付、10月2日付、2012年2月5日付)。
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