2013年10月、第86回日本社会学会大会(慶應義塾大学)にて研究発表。 ユダヤ人であるという出自が、アーレントにとって重大な意味をもっていたという認識の上に立って、彼女が用いる概念の解釈を試みるものである。ここで、特に着目するのは、「哀れみ(pity)」と、「親密圏(the sphere of intimacy)」あるいは「親密さ(intimacy)」である。これらの概念をアーレントがどう定義したかを明確にすることによって、『全体主義の起原』の思想的展開として、その後のアーレントの著作を位置づけることができることを目指した。 アーレントにおける親密圏は、近代社会が個々の人びとに押しつける画一化の要求に対する対抗軸として「発見」されたとする。しかしその一方で、個性の発露が私生活において求められるようになるとともに、私生活における友人との関係には、様々なルールが適用される関係へと姿を変え、対等でない関係へと親密圏が変容していったと考えられる(Arendt 1998)。 自由な人間であることを否定し、人権を抹殺した全体主義支配の経験と考察をとおして、アーレントの思索は、人間事象全般に関わる思想的探求へと結実させていったと考えられる。これは同時に、全体主義の経験からもたらされた、ただ人間であるというその事実のみに由来する人権はあり得るのかという問いであり、自然法思想がなしえなかった大文字の人権の哲学的基礎づけを行う試みでもあった。その意味において、『全体主義の起原』は、アーレントの思想的背景をなす文献として再解釈されるべき重要な著作であると位置づけることができる。
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