山本有三の小説「路傍の石」を題材として、昭和戦前期において「教育システムからの排除」がどのような形で問題となり、どのように解決策が構想されえたのかを考察した。この論文は2012年に共著本の一章のかたちで刊行される。内容の概略は以下の通りである。 戦前の日本社会では、小説の主人公・吾一のように、進学できる経済力や継ぐべき家業をもたない多くの少年たちは高等小学校を卒業すると丁稚奉公や職工見習などの徒弟労働に就くしかなかった。それでも従来なら、年季いっぱい勤め上げれば独立の支援が得られ、住み込み修行による修養効果も期待できた。この徒弟制がもっていた「包摂」機能は、しかし第一次大戦後の経済変化によって縮小しつつあった。小説が発表された昭和一〇年代、低学歴の勤労青少年たちは不透明な将来に不安を抱えながら、経済社会の底辺で転職を繰り返している。明治三〇年代に原型ができた学歴主義は、第一次大戦後には経済社会の隅々まで浸透していたから、働きながら講義録や夜学で勉強して、資格取得によるキャリアアップを目指す勤労青少年は増えていた。吾一も印刷所で働きながら夜学に通っていた。しかし次第に限界を感じるようになる。また身ひとつで社会に放り出された自分が独立を獲得するのに、既存のコミュニティは何ら力になりえないことを痛感していた。そこで「貧乏人同士手をつなぐ」のではなく、「金持ちとも手をつなぐ」行き方を模索していく。「手をつなぐ」点で似ているが、吾一は両者の本質的差異に気づき、互助的共同体への包摂ではなく、社会関係資本の蓄積を通じた「独立自尊」(福沢諭吉)の道を選び取る。「路傍の石」が提示する別解は、蛍雪の功的な勉強立身のかげで忘れ去られようとしていた、もうひとつの明治的なものである。
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