研究概要 |
戦後初期社会科「福沢プラン」で重視された,子ども・家庭・地域社会の生活現実を土台とする教育理論,そして方法がいかに形成されていったのかを探るのが本研究の課題である。そのため,本年度は第一に,戦前期に報徳教育を推進した実践者と理論家の論稿,第二に戦後「福沢プラン」を指導した教育学者・石山脩平の論稿類や福沢小学校元教員,ご家族への聞き取り調査を進めた。 一点目の成果は以下の3点である。(1)戦前の福沢小校長・米山要助氏のご子息に聞き取り調査を行い,当地方で戦前から戦後に報徳教育を受け継ぐ人脈があったことを確認した。(2)米山校長の影響を受け展開した富山県の報徳教育運動について,現地調査で一次資料を収集できた。(3)戦前に報徳教育論を著した加藤仁平の著作・論稿のほぼ全部を収集できた。これら第一点目に関わる成果から,戦前の報徳教育の輪郭,すなわち全村教育機構による生活指導を志向していた点が明らかとなりつつある。今後,富山・神奈川の比較研究などを進めこの点を明確化していきたい。 二点目の成果は以下の点である。(1)終戦直後の石山脩平の日記やコミュニティスクールに関する論稿類を多数収集できた。(2)「福沢プラン」の推進者・井上喜一郎校長宅の調査により,未発見の福沢小学校研究物や井上喜一郎出演のラジオ番組音源など,当事者の認識に迫る史料を発見できた。(3)井上喜一郎の薫陶を受けた小林清氏,松本健嗣氏への聞き取り調査で「福沢プラン」を支えた教育理論の一端を知り得た。これら,当事者の話や史料はこれまで十分に掘り起こされることがなかった。特に(2)や(3)では井上校長が戦前以来の母子常会を高く評価し,「芋こじ」という報徳の教えを真に学び合う子どもの姿に例えて実践研究に取り組んだ点を確認できた。戦前以来の報徳教育をいかに「農村地域社会学校」に転換させたのか,その理論に迫るヒントが得られたと考えている。
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