3年間の研究課題の最終年度である本年度は、前年度に引き続き、ケープタウンでの史資料収集と18世紀末のケープ植民地のフロンティアである内陸植民都市グラーフ・ライネにおける現地調査を行った。本研究課題は、ボーア人によるオランダ植民都市計画の理念と手法を明らかにするとともに、南アフリカ都市の特殊性であるアパルトヘイト期の人種差別空間の形成と変容過程を明らかにするものである。ホース・シューと呼ばれるグラーフ・ライネ中心部の白人地区と隣接する黒人地区ウマシザケの都市形成と住居類型に焦点をあて、臨地調査と史資料を基に分析、考察を行った。中心部の白人地区は1786年の集落形成当時のグリッド・パターンの都市形態が現在でも残る一方で、アパルトヘイト体制崩壊後に文化財保護のプログラムが破棄され、幹線道路沿いは開発されつつある。一方、いくつかの街路では200年前の集落建設当時の街並みを残し、100年以上前の植民地様式の住居も現存する。隣接する黒人地区ウマシザケは、人種隔離政策時には白人地区への労働力供給地域として人口密度を増した。現在は、低所得者向けの住宅供給政策によって一部が整備される一方で、バラックが建ち並び大規模なクリアランスも取りざたされている。ウマシザケの形成はアパルトヘイト以前に遡ることは明らかになっているが、今回の調査で新たな関連史資料を見つけることは出来なかった。南アフリカにおけるオランダ最初期の植民地であるケープタウンに起源をもつケープ・ダッチスタイルの住居を確認し、ロイヤル・ブロックと呼ばれる街区の現況記録を行った。この一角を保全、活用しようという官民の動きもあるが、アパルトヘイト前後の歴史を刻んだ地区全体の保全計画が望まれる。
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