本研究の目的は、中東・バルカン地域にまたがる多宗教・多言語・多民族国家であったオスマン帝国において、いつ、どのようにして近代ジャーナリズムが登場し、それが帝国の公共的空間の形成にどのような影響を与えたのか、ということを明らかにすることにある。'とくに、多言語・多文字社会であったオスマン帝国における言論空間の多様性に注目すべく、一方では「オスマン・ジャーナリズム」という新たな枠組みを提示することで理論面での研究水準の引き上げをはかり、他方では帝国の共通語ともいうべきオスマン・トルコ語(アラビア文字で表記された文語のトルコ語)で発行された初の民間新聞『時事通信』(ジェリーデイ・ハヴァーディス、1840-1864年、全1212号)を収集・分析することで、実証性の確保をめざす。 今年度の研究成果として、1876年のミドハト憲法発布にいたるまでのオスマン帝国における立憲議会論の展開を、「オスマン・ジャーナリズム」の枠組みを用いて多面的に理解することの有効性を示すべく、財団法人東洋文庫において研究報告をおこなった。『時事通信』の収集のために予定していたトルコ渡航は諸般の事情で次年度への持越しを余儀なくされたものの、今年に入ってトルコの図書館や研究施設によるオスマン・トルコ語定期刊行物の電子画像公開事業が進展したこともあり、収集作業については所期の目標をほぼ達成することができた。今後は同紙の内容分析を進めつつ、「オスマン・ジャーナリズム」のなかでの同紙の位置づけについても考察を進めていく予定である。
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