本研究は、ドイツ統一後、旧東ドイツの作曲家の作品に対して進められてきた新たな視点のもとでの評価を踏まえ、ハンス・アイスラーの《ドイツ交響曲》とパウル・デッサウの《ドイツ・ミゼレーレ》という二つの大きな作品の意義を改めて問い直す試みである。これらの作品は、その高い評価にもかかわらず、これまでヨーロッパを含めて、ごく限られた上演の機会しか持たなかった。また学問的な研究成果もそれほど多くはない。しかし近年、これらの作品の上演とそれにともなう再評価の試みが行われている。これらの作品はともに第二次世界大戦の前後、作曲家たちがドイツを去らざるを得なかったその時期に書かれたが、これらの作品が共通して持つ普遍的なテーマとその多層的な意味とを検証し、この二人の作曲家の手法や独自の視点についての考察は、このような試みを一時的なものに終わらせないためにも不可欠である。日本ではこれらの作品はヨーロッパ以上に知られておらず、まとまった先行研究もなく、関連する資料を入手することも容易ではない。筆者は昨年度、まずデッサウの作品に関連する資料を、基本的なものを含めて収集することから始めた。夏にベルリンの芸術アカデミーのアーカイブに調査に行き、自筆譜やスケッチに目を通して、必要なものを収集した。この作品は、スコアは出版されているが一般に入手可能な録音がないため、ドイツのラジオ・アーカイブより1966年の初演時の録音資料をお借りしている。 また平成23年の2月にライプツィヒのオペラハウスで、この作品を舞台化したものの初演が行われた。このような新たな試みはこの作品の現代的意義を考えるうえで極めて重要なものである。そのため筆者は3月末にライプツィヒに行き、この公演を見ると同時に、関連するメディア評等の収集を行った。
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