平成22年度の研究は、17世紀フランスのジャンセニスム論争が西欧の思想史上でどのような位置を占めるものであったのかを明らかにすることを目的として行われた。その具体的内容は、論争の展開と変遷を辿る作業と、前後する時代の哲学と神学における関連動向を掘り起こす作業とに大別される。前者については、対立のキーワードとなった「信」の観念を軸に整理することで、一時的な和約が結ばれた1660年代後半までの理論的闘争に大よその見通しを与えることができた。後者に関しては、信の観念をめぐる思想史を概観することが必要であるため、考察はいまだ途上であるが、「信仰の分析」あるいは「信仰の解明」と呼ばれた16世紀後半における新しい神学的傾向の出現とその伝播の様相に注目してみると、信じる対象の客観的真理性から信じる主体の主観的確実性へという、信をめぐる思考様式の大きな転換が近世ヨーロッパにおいて見られたことが理解され、ジャンセニスム論争をそこに位置付けることが可能になった。すなわち、「信仰宣誓書」と呼ばれたジャンセウス断罪を誓う書式への署名強制政策は、教会の決定事項に向けるべき信の在り方についての思索を深める呼び水となり、「教会的信」といった新たな信の形が明確にされることになったのだが、こうした偶発的状況の中で、ジャンセニスム論争は予期せぬ仕方で「信の行為」をめぐる構造的分析の動きに合流したのである。以上の知見は、フランス17世紀研究者の前で報告し、論文にまとめた。とはいえ、信の観念史はキリスト教史全体にかかわる大テーマであり、多くの未開拓の領野が残されている。まずはスアレスからホールデンへという近世の思想家たちによる思索の意義をより精確に分析することが、この研究をさらに進展させる上で鍵になると思われる。
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