イタリアでは1978年に成立した法律180号を機に、20年以上かけて公立の精神科病院を全廃、また司法精神病院も2013年には閉鎖されることが決まった。これはしかし、従来病院で行われていた精神医療が、今度は病院の外の地域で行われるようになったということを単に意味しているのではない。イタリアでは「地域」のことを"territorio"すなわち「テリトリー」と呼ぶが、地域精神保健実践を見るとそこで行われていることは、狭義の医療というより、「生きもの」としての人間が他の人々や環境とのインタラクションのなかで、自らの「テリトリー」としての生態学的なニッチを創出していく過程だということが見えてくる。したがって問題は、精神障害を抱えた人々が地域に出ていかに自立するかということよりも、テリトリーを構築するのを助けるような<生態学的インタラクション環境>をどう整えるかというところにあろう。 このような観点に基づき2011年8月から9月にかけて実施した現地でのインタビュー調査およびフィールド調査から浮かび上がってきたのは、環境の様々なアフォーダンスのなかでもとりわけ他の人間のアフォーダンスがいかに重要かということであった。それは「現実」を間主観的に構成するのみならず、その手前で「現実」を成り立たせている自明な前提の成立に関わっている。「つながり」とか「人と共にいること」という日常語で表現されてきたもののうちにある決定的な意義の一つが、この「他人のアフォーダンス」にあると考えられる。それゆえ、具体的な生身の人間がそばにいて自分のやることを見守り伴走することが、精神疾患の「治癒」という狭い文脈を超えて重要となる。ここからは、自然の環境問題というより人間の環境問題として現れている「心」の問題について、個々人の「心」に限定されることなく、より広く生態学的なアプローチで捉えられる必要性が導き出される。
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