粘土帯土器文化の出現による朝鮮半島の社会の複雑化を明らかにするため、本年度は刊行された報告書を集成しつつ、韓国、中国河北省・遼寧省で資料調査を行った。 中国遼寧省の鄭家窪子遺跡を含む粘土帯土器文化関連資料の特別展が、韓国の京畿道博物館で行われたので、観察のため韓国に渡航した。これらの資料の一部は、現在、中国で公開されていないため、今回の観察は本研究を遂行するのに欠かせないものであった。また、中国河北省では燕下都から出土した鉄製武器を含む鉄器の観察・実測を行った。燕下都の鉄器はまだ未報告のものが多く、それをデータできた意義は大きいと考えている。中国遼寧省では宮本一夫氏に同行し、遼東半島の上馬石貝塚の踏査を行った。粘土帯土器が出現する最も古い時期の様相を知ることができた。 以上のような調査で、中国東北地方における粘土帯土器の形成を再確認することができた。現在も資料が増加している状況ではあるが、古い粘土帯土器とその形成に関わる資料は遼東地域に多いようである。ただし、春秋期には遼西地域の凌河流域まで遼東地域と共通する土器がみられるようになり、燕との関係も確認されるため、朝鮮半島に粘土帯土器文化が南下する時期においては、隣接する燕の動向を合わせて考える必要が生じてきた。現段階では、燕の拡張に押された形で朝鮮半島に粘土帯土器文化が移動したと理解されるが、この動向自体、文献にはみられないため、今回の研究成果は東アジアの歴史を解明の一端を担うものであるといえる。また、燕の鉄器が朝鮮半島の粘土帯土器文化の後半期に受容されるが、今回調査した鉄製武器は受容されていないため、燕によるコントロールがあったことが推定された。逆に考えれば、燕の領域拡大の指標として鉄製武器の分布を検討することが重要といえる。こうした内容も東アジアの歴史の解明おいて意味があると考えられる。
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